教行信証の研究 - 重見一行

教行信証の研究 重見一行

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関連リンク ・同じ作者の在庫一覧. 真宗総合研究所研究紀要 第₃₆号 親鸞﹃教行信証﹄ ﹁化身土巻﹂における﹃論語﹄引用について —法琳・遵式の引用を通して — 藤 原 智 はじめに 親 鸞 ︵一 一 七 三 ~ 一 二 六 二︶ の 主 著﹃顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類﹄ ︵以 下﹃教 行 信 証. 英米班の研究員として国際学会・シンポジウムにおいて大谷大学の真宗学・仏教学研究の成果を発信し、海外の仏教研究者との学術交流に従事してきた。(英米班庶務:年〜年、研究代表者:年〜年)。 2.

れたとものと推定されるからである(重見一行『教行信証の研究―その文献学的考察―』 法藏館,1981 年,85-86 頁)。 しかし残念ながら,〔存覚本〕には「化巻」が欠落してお. 価格 (税込) 売切. 一。「教行信証」の要義は、浄土真宗の要義である。であるから、一口に「教行信証」の要義をいい顕わすことは出来にくいが、すでに、存覚上人の「教行信証大意」にも、 しかれば、当流聖人の一義には、教行信証といえる一段の名目をたてて、一宗の規模として、この宗をばひらかれたるところなり。このゆえに、親鸞聖人一部六巻の書をつくって、「教行信証文類」と号して、くわしく、この一流の教相をあらわしたまえり。 と宣べてあれば、真仮邪正を弁別して、真実の教行信証の四法を顕わすを、本典一部の要義というべきであろう。以下少しく四法のことを述べて、本典一部の要義、浄土真宗の教義の概観を申してみたいと思う。 二。教行信証の四法は、我が親鸞聖人御己証の法門であって、他門他流に於ては全く知らないものである。教というは、仏陀の言教、行というは、その教に説かれた修行、信というは、その行の功徳利益を信ずること、証というは、その行信の因に依って得るところの証果である。これを図に示してみると、左の如くになる。┏能詮━━━━━━━━━教 ┃ ┏所信━━行 ┃ ┏因━┫ ┗所詮━┫ ┗能信━━信 ┗果━━━━━━証 行を信じて、証を開くことを教ゆるのが、教であるから、教は、ものの道理をいい詮〈あら〉わすものである。即ち能詮である。行信証はいい詮わさるるもの、即ち所詮である。又、行と信とは証の結果を得る原因であるから、証に望みて因である。証はその果である。信と行との関係は、行は信ぜられるもの、信は、信ずるものであるから、行は所信、信は能信である。四法には以上の関係があるのである。 三。次に然らば、浄土真宗の教とは何ぞや、行とは何ぞや、信とは何ぞや、証とは何ぞやと、その体を求めてみると、これが、所謂「教行信証」の四巻に顕わされて居るので、これを簡単にいうてみると、左の如くになる。教というは「大無量寿経」であり、行は南無阿弥陀仏の大行、信は至心信楽欲生の三信、証は難思議往生である。 「大無量寿経」というは、阿弥陀如来の因果の功徳を説いて、我等に、安養の浄土に往生せよと勧め給うた釈尊の教である。 南無阿弥陀仏は、如来の御名であって、吾等が浄土へ往生するに就いて貰い受けねばならぬ大功徳の結晶である。大体、衆生が、仏になるには、それだけの修行をして功徳を積まねばならぬ。聖道門の聖者が、. 信仰の三つの類型 (cf. 教行信証の研究 -その成立過程の文献学的考察-著者: 重見一行. 押界(おっかい)を施し、半葉6行、一行概ね17字あてに書写する。料紙は教・行巻のみ雁皮(がんぴ)紙で、他は楮紙(ちょうし)を用いている。 教・行巻は本願寺系8冊本の系統に属する写本で、室町時代の書写である。.

『親鸞真蹟の研究』 平松令三 法蔵館 1988(昭和63)年4月 『善光寺まいり』 五来重 平凡社 1988(昭和63)年5月 「高田派伝持の宗祖御真蹟に就きて」 三井淳辯 『龍谷大学論叢』295 1930(昭和5)年 「専修寺蔵の見聞集と教行信証成立の時代に就いて」. 往相の回向について真実の教行信証あり。(教巻 p. 『教行信証』の言葉の源 -- その漢文的背景と仏教的背景: 張偉; 真宗連合学会: 眞宗研究 : 眞宗連合學會研究紀要=Shinshu Kenkyu : Journal of Study of Shinshu=シンシュウ ケンキュウ : シンシュウ レンゴウ ガッカイ ケンキュウ キヨウ:. 行信佛教文化研究所では本年度も 親鸞主著『教行信証』は、家永三郎氏、豅弘信。 寺院史研究会。会員皆さま協賛お陰にもちまして、そことは「愚禿釈親鸞」撰号記されている、如月 、Wikipedia。 1224年・真宗門徒宗祖と仰ぎ。. 論説文の教材研究--「ロダンの遺言」の場合 / 野宗睦夫 / p816~825; 国語教育の基本的方法--論理文と文芸文の読解指導をめぐって / 森本正一 / p826~834 「蓮の香」研究授業の実踐報告--「現代国語」と明治期の作品についての所感 / 野井登 / p835~845. 3 Description: 395p ; 22cm Authors: 大谷大学真宗学会 Catalog. 信証』の「行巻」大行釈に重点を置いて、『往生礼讃』引用のについては特異であることがわかる。 本論においては、『教行このことからしてみても、「行巻」における『往生礼讃』引用んどであり、「行巻」は「信巻」の約四十分の一に過ぎない。.

善導浄土教の研究: 1 ・5年来の探求書です (田尻茂樹) 0. 【報告のポイント】 前回の研究会に続いて大谷大学所蔵本の調査報告である。また,奈良県の岸部泰彬氏所蔵本,三重県の中山寺所蔵本の調査報告を加え,本研究中心テキストである「文明本」との対校を通し,『教行信証』の流伝状況の一端を明らかにする。. 「教行信証」研究序説 - 構造の問題: 雲村賢淳; 真宗連合学会: 眞宗研究 : 眞宗連合學會研究紀要=Shinshu Kenkyu : Journal of Study of Shinshu=シンシュウ ケンキュウ : シンシュウ レンゴウ ガッカイ ケンキュウ キヨウ: 1960. 教行信証の撰述の研究: 慶華文化研究会編: 平6: 5,500円: 8986: 教行信証の概要 印有: 金子 大栄: 昭2: 3,000円: 8996: 教行信証の研究: 重見 一行: 昭56: 25,000円: 8997: 教行信証の研究: 大谷大学真宗学会編: 昭56: 12,000円: 8998: 教行信証の研究: 中山 彰信: 平26: 9,020円: 9023. 一。「教行信証」の註疏は汗牛充棟もただならぬ程多数に上って居る。今その署名、巻数著者を左に列記して見よう。もとよりこの外なお地方地方に講述されたものが余程沢山あるであろうと思われるが、今は派別にして大体に止めて置く。 一。 「教行信証大意」一巻 存覚上人作(本願寺派にては覚如上人作と伝う) 二。 「六要鈔」十巻 存覚上人作 本願寺派 三。 「本典私考」三十巻 定専房月筌 四。 「本典字義弁疑誤」一巻 同人 五。 「本典樹心録」九巻分節一巻 智暹 六。 「本典拾瀋記」八巻 浄応 七。 「本典高堅記」十三巻 月渓 八。 「本典一渧録」或云「顕考記」十六巻 僧鎔九。 「本典略註」一巻 同人 一〇。「本典義例」一巻 慧雲 一一。「本典光融記」四十巻 玄智 一二。「本典科図」一巻 同人 一三。「本典証巻講疏」二巻 同人 一四。「六軸科節」一巻 環中 一五。「本典頂戴録」四巻 柔遠 一六。「六要鈔指玄録」十一巻 同人 一七。「本典略讃」八巻 道隠 一八。「本典義例略讃」一巻 大瀛(エイ) 一九。「本典科節」一巻 同人 二〇。「広書箋」十二巻 履善 二一。「本典講記」 性海 二二。「本典徴決」十九巻 興隆二三。「文類述聞」八巻 僧叡 二四。「六軸標挙提綱」一巻 道振 二五。「行巻文義略決」一巻 同人 二六。「化巻科節弁意」一巻 同人 二七。「本典大意略解」一巻 同人 二八。「本典大意略解余論」三巻 同人 二九。「教行信証三則」二巻 曇龍 三〇。「教行信証大節」一巻 同人 三一。「同徳徴記」八巻 同人 三二。「同綱要」一巻 同人 三三。「同略弁」一巻 同人 三四。「本典折衷」二巻 宝雲 三五。「広書自釈筆記」一巻 同人 三六。「本典好密」一巻 同人三七。「本典奉持記」十五巻 行照 三八。「教行信証文類丙申記」五巻 僧朗 三九。「証文類記」一巻 同人 四〇。「本典対問記」旧名「敬信録」六巻 月珠 四一。「教行信証私記」 普行 四二。「本典講録」二十巻 南渓 四三。「本典録」二巻 断鎧 四四。「教行信証検要」五巻 慶忍 四五。「本典録」十一巻 善譲 四六。「信巻録」五巻 同人 四七。「教行信証大意管窺録」一巻 同人 四八。「教行信証大意略釈」一巻 玄雄 四九。「教行信証摘解」四巻 義山 五〇。「広文類論題」二巻 覚音 (1-0. 教行信證の研究 : その成立過程の文献学的考察. ツイート 法然聖人とその門弟の教学第11回 「聖意測りがたし」「仏意測りがたし」武蔵野大学通信教育部准教授 前田 壽雄 法然聖人は『無量寿経』によって、法蔵菩薩が建立した本願とは、粗悪なものを選捨して、善妙なものを選取し. 教行信証の研究 : その成立過程の文献学的考察 フォーマット: 図書 責任表示: 重見一行著 言語: 日本語 出版情報: 京都 : 法蔵館, 1981.

. 林 智康「『教行信証』と『弁正論 - ECHO-LAB 平成九年三月 ﹃教 行 信 証 ﹄ と ﹃ 弁 正 論﹄ 印度學 佛教學研究第 四十 五巻第二号 一 (1 ) 親 鸞 の 主 著 ﹃教行 信 証 ﹄ 化 身 土 巻 ( 末)に 唐 僧法 琳 の ﹃弁 たやす 正 論 ﹄ が 引 か れ て いる 。. . ☆アミダを念じることは、凡人の行でも賢人の行でもないのです。 教行信証の読み下し分と訳文――その82 ☆賢人かどうか、重罪かどうかにかかわらず、アミダを念じて覚りを得られるのです。. キリスト教の信仰) 㶄raddhā(信、信心、正信、浄信、敬信)=仏道の出発点 「仏法の大海は信を以て能入となし、智を以て能度となす」(大智度論) 「仏の言葉と想いを信ずる人々の福徳は(膨大な布施よりも)なお多いであろう。 71 ndlc : hm162 ndlsh : 親鸞(1173〜教行信証: タイトルのヨミ、その他のヨミ: キジン カラノ カイホウ 教行信証の研究 - 重見一行 : キョウギョウ シンショウ ケシンドノ 教行信証の研究 - 重見一行 マキ: その他のタイトルのヨミ、その他のヨミ:.

一。前章に於て、「教行信証」は一面対他的の側からいえば、時代の要求に応じて、その病弊の救済者として生れたものであることをいうた。茲に章を改めて、当時の教界の模様を今少しく委しく探って、当時の教界に於ける聖人の位置を明かにしたいと思う。すべて人物は時代という背景の前に躍動するものである。その一言一行も皆その時代の大波小波の影響を受けて居るものであるから、時代の影響を察して、その言行を見れば、真にその活躍せる意義を握ることが出来るのである。聖人の背景は、同時に「教行信証」の背景である。「教行信証」は鎌倉時代の宗教という舞台の上に躍って、万古不変の人心の秘奥を語る名優である。されば、茲に、この章と次の章を置くも決して徒爾ではなかろうと思う。 二。三千年の昔、韋提希夫人という一女姓が、家庭内の逆縁に依って目が醒めて、弥陀他力の本願に救われてから以後、醍醐の慈雨は次第次第に人の心の上に降り注いで、心霊の救済を得るものが益々多くなった。龍樹大士は、儜弱怯劣の凡夫は、弥陀の弘誓に依るの外道なきことを断定し、天親菩薩は、「世尊我れ一心に尽十方無碍光如来に帰命し奉る」と告白し、曇鸞大師に千年の寿を延びんがために仙術を学ばんとして、却って無量寿の教に驚き覚め道綽禅師は一生造悪の凡夫はとても開悟の道がなければただ如来の本願に依るより外なきことを述べ、善導大師は、殊に痛切に、浮世の偽虚相と、自己の罪悪相に目が醒めて、ひたすら、かかるものを救済せんと誓い給うた本願の約束を喜び嘆え給うた。 三。我が日本国に於ても、欽明天皇の十三年、仏教の初めて伝わった時から、阿弥陀如来に因縁が多く、聖徳太子や光明皇后や、行基菩薩、智光礼光の両師等の浄土願生者を出して来たのであるが、それが平安朝に入って伝教大師は天台教を伝うると共に念仏を喜び、引いて叡山の大衆の念仏三昧となった。高野山の弘法大師も亦、その母に念仏をすすめ、その末流に多くの念仏者を出された。叡山と高野の末流なる慈覚、延昌、慈恵、空也源信、良忍、永観、実範等は、みなこの念仏の人である。中についても源信僧都は、遠く善導流の念仏を伝えて、「往生要集」を著わし、極重悪人、無他方便、唯称弥陀、得生極楽の旨を示し給うた。他力本願の念仏は、次第に、その色を濃くし、その範囲を広くして来た。然し、これまで他力本願の宗教は、. 01 『教行信証』の解釈学的研究. 105 三重韻七行付訓刻本. 新講教行信証 本多弘之著 草光舎, 星雲社 (発売),. 1%: 71位: 総覧不動明王: 1.

3- 総序の巻 教巻 行巻1 行巻2 行巻3 行巻4 行巻5. や、重見一行『教行信証の研究:その成 立過程の文献学的考察』 (法藏館、一九八一年) 、鳥越正道 の修復、そしてカラー影印本て宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を記念し、改めて坂東本『最終稿本教行信証の復元研究』などが発表される。そし. 教行信証の研究 ; 教行信証の諸問題 フォーマット: 図書 責任表示: 寺田, 正勝 ; 金子, 大栄言語: 日本語. 親鸞の立場と教行信證の撰述: 宮崎圓遵著: 教行信證撰述年時の問題: 大原性實著: 教行信證信卷別撰説の要旨: 結城令聞著: 教行信證信卷別撰説の批判: 大江淳誠著: 教行信證論攻の基盤について: 花山信勝著: 阪東本教行信證の成立過程: 小川貫弌著. 1%: 71位: 善導大師及往生礼讃の研究: 1: None: 0. それをもし「行」と捉えると、教と行はどう関係するのであろうか。『教行信証』は、「行」の前に「教」が置かれているが、ではその教とは何かがここで問題になる。 3.『教行信証』の構造 さてここで、『教行信証』の構造が問われる。.

第三章 教行信証 557 第一節 親鸞の奉状と教行信証の成立 ー「今上」問題の究明ー 557 第二節 坂東本の史料科学的研究 ー教行信証成立論の新基礎としてー 614 第三節 原教行信証の成立 ー元仁元年問題の史料科学的研究ー 648. 一。前章に於て述べたように、「教行信証」は、元仁元年、稲田に於て、御製作御脱稿なされて、その後、処々に於て御清書なされたものである。稲田に於て御脱稿の「教行信証」を御草稿本と称して居る。現在坂東報恩寺に珍蔵するものがこれである。その後の清書本は、御清書本と称して、錦織寺に一部、高田専修寺に一部、西本願寺の宝庫に一部ある。錦織寺の御清書本は、惜しい哉、元禄七年閏五月五日の夜の火災に依って焼失した。「高田本」のことはよくはわからないが、専修寺の宝庫にあって多くの人に示されぬ。明治四十五年四月、専修寺出版の「教行信証」はこの御清書本を本として、諸本を校合した結果のものであろう。その版本に依ってみると、西本願寺宝庫の御清書本や坂東の御草本とは処々異なる処がある。一例を出してみると、行巻の標挙、諸仏称名之願の下には本願寺の御清書本も、坂東の御草本も、「浄土真実之行、撰択本願之行」と二行に細書してあるが、高田刊本には只「真実之行」とあるからみると、高田御清書本にも、「真実之行」とある丈けと思われる。再治御清書の内に、幾度か、字句、文章を改変なされた処があるのであろう。西本願寺本山には、御真本と称するものは二種あるということである。一は蓮如上人御所持の御真筆御清書本で、その証巻は、有名な本光坊了顕師の肉付き腹篭の聖教と称するものである。巻頭の写真版は、その一葉である。今一本は、坂東報恩寺所蔵の御草本の写しである。「略讃」に御真本と称するは、この報恩寺本の写本のことをいうのである。私は安永元年癸巳の夏、越中僧鎔、伊勢正覚寺本誓、石見浄泉寺仰誓三師が信慧院殿の恩許に依って、錦花殿に於て、この肉付きの御聖教を熟拝し、僧鎔師、寛文の板本に校異をしるされたものを、仰誓師が更に写された寛文板本を借覧して居る。因に茲に芸州教順寺雲幢師が文化十酉歳、石州瑞泉寺自謙師と共にこの御真本内覧を許された行儀を記して置こう。 大法主許容あらせられ、六月十九日九つ半時、自謙並に、予両人を召し給い、黒書院にて真本を拝見仰せ付けられ候。乃ち、大法主上席に御出席あらせられ、池永氏、其外諸士列席せらる。中席に見台あり。其上に御真本あり。先ず両人を見台の前に召し出され、次に、大法主見台の右の傍へ御来臨あらせられ、御手ずから真本を一枚づつ披き給い、拝見せしめ給えり云々。 これは雲幢師の記である。. 135) とされ『浄土文類聚鈔』では、 しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相について大行あり、また浄信あり。(浄文 p. 一。親鸞聖人の書き残し給うた著述は左の通りである。 書名 著作年時 真筆所在 一。 「教行信証」 六巻 元仁元年(五十二歳) 坂東報恩寺、本派本願寺、高田専修寺、木辺錦織寺(焼失) 二。 「浄土和讃」 一帖 宝治二年(七十六歳) 加州本蓮寺、高田専修寺 三。 「高僧和讃」 一帖 宝治二年(七十六歳) 加州本蓮寺、高田専修寺 四。 「唯信鈔文意」一巻 建長二年(七十八歳) 奥の本誓寺 五。 「浄土文類聚鈔」一巻 建長四年(八十歳) 本派本願寺、越後浄興寺、専修寺 六。 「尊号真像銘文」三巻 建長七年(八十三歳) 越前法雲寺、専修寺 七。 「浄土三経往生文類」一巻 建長七年(八十三歳) 興正寺、専修寺 八。 「愚禿鈔」 二巻 建長七年(八十三歳) 専修寺、三州良円房 九。 「皇太子聖徳奉讃」七十七首 建長七年(八十三歳) 天王寺宝庫一〇。「入出二門偈」一巻 康元元年(八十四歳) 越前法雲寺、専修寺 一一。「往還回向文類」一巻 康元元年(八十四歳) 三河上宮寺 一二。「聖徳太子奉讃」百十四首 正嘉元年(八十五歳) 野代願永寺 一三。「一念多念証文」一巻 正嘉元年(八十五歳) 専修寺 一四。「正像末和讃」一巻 正嘉二年(八十六歳) 加州本蓮寺、専修寺 一五。「獲得信心集」一巻 正嘉二年(八十六歳) 専修寺 外に猶 一六。「諸経要文」 一巻 安禎二年(五十六歳) 専修寺 一七。「磯長夢想記」一巻 建久二年(十九歳) 磯長叡福寺(紛失) 一八。「六角堂夢想記」一巻 建仁元年(二十九歳) 専修寺 一九。「二十一箇條掟」一巻 貞永元年(六十歳) 越後浄興寺 二〇。「無言辭集」 一巻 建長七年(八十三歳) 願入寺(焼失) 二一。「三経大意」 一巻 専修寺 二二。「西方指南鈔」一巻 康元二年(八十五歳) 専修寺二三。「迎接曼陀羅由来」一軸 嵯峨清涼寺 二四。「浄土二経門図」一巻 専修寺 二五。「四十八願願名附」一巻 専修寺 二六。「本尊色紙文」 一巻 二七。「十七箇條掟」 一巻 二八。「一紙遺書」 真仏房に与えられたるもの 野代西光寺 二九。「十五首和讃」 一巻 註。以上二十九部を聖人の自選として伝えて居るが、然し第十六部以下は猶相当の研究を経ねば聖人の親選として断言する訳には行かぬ。 滅後編集のもの 一。 「御消息集」 三巻 覚如上人纂 二。. 教行信証の研究: 重見 一行: 昭56: 25,000円: 8997: 教行信証の研究: 大谷大学真宗学会編: 昭56: 12,000円: 8998: 教行信証の研究: 中山 彰信: 平26: 9,020円: 8999: 教行信証の撰述の研究: 慶華文化研究会編: 平6: 5,500円: 9000 「教行信証」の書誌学的研究: 門川 徹真: 平28: 4,180. 仏ののたまはく、〈善男子、われ往昔の初において出家のとき、わが弟難陀、従弟阿難・提婆達多、子羅睺羅、かくの ごときらの輩、みなことごとくわれに随ひて家を出で道を修しき。われもし善星が出家を聴さずは、その人次にまさに王位を紹ぐことを得. 解説: クロス装 函ヤケ 本体美 A5判 480ページ. 鬼神からの解放: 主題: 親鸞(1173〜1262)--教行信証: 分類・件名: ndc8 : 188.

教行信証の研究 : その成立過程の文献学的考察. キョウギョウ シンショウ ノ ケンキュウ : ソノ セイリツ カテイ ノ ブンケンガクテキ コウサツ. 一。「教行信証」は、学解智弁の産物ではなくて、醇乎(じゅんこ)として醇なる信仰上の産物である。全篇六万八千字、冷静なる批判学究の文字ではなくして、一々の文字に、生命と歓喜の躍って居る聖典である。仏陀の経典の如く、基督の「聖書(バイブル)」の如く、マホメットの「コーラン」の如く、世に顕れてから、常に幾百千万の心霊を統率し、支配し、生命の源泉となって居る聖典である。さらばこの「教行信証」は、殊に、智慧才学を以て読むべきものではなくて信仰を以て読まねばならぬものである。心霊と心霊と相触れて読むでなければ、畢竟、その真意を得ることが出来ず、一字一句も解することが出来ないのである。華厳宗の鳳潭師の如き、あの識見と、あの才学を以てして、猶「教行信証」の真意を摂取することが出来ず、酒呑のくり言の如しと嘆ぜられたというではないか。心で書いたものは、心で読まねばならぬ。「教行信証」の如きは、殊にこの感を深くするのである。 (信仰の告白) 二。「教行信証」は親鸞聖人の信仰の告白であって、同時に、立教開宗の本典である。告白の側からいえば、純粋なる絶対他力の信仰を、自己の心胸に味うかぎり発表せられたので、それが、同時に、今まで世界にない水際の立った醇乎として醇なる宗教を建設せしめたのである。真宗十派の基はここに立ち、七百年以来、幾百千万の心霊が、この教に依って救われて来たかということを考えて見ると、信仰の偉大なる力を驚嘆せすには居られないのである。同時に、「教行信証」に対して何ともいうことの出来ない一種の尊信の情を感じて来るのである。 「教行信証」は、親鸞聖人の信仰に凝結した一切経である、すべて一つの帰結に達するとはいい、恐らくは、これ程、内容の空漠偉大なものはなかろう。浄土の三部経はいうまでもない、「華厳経」「涅槃経」等の一代経、論釈、外典に亘って、数十部の文を引き来り悉くこれを聖人自身の坩堝の中に陶冶して、渾然たる一宝玉と練り上げてあるのである。聖人の信仰に参したものでなければ、宛然(さながら)、迷宮に迷い込んだ如く、酔漢のくり言をきくが如く、殆んど一読するだも堪え得ないことであろう。 (拝読の方軌) 三。それで「教行信証」を拝読するということは、実は容易ならぬことである。況んや講義をするとか、解釈するとかいうことは、まことに恐れ多いことである. 一。上に述べた様に「教行信証」には種々の版本があって、文字の異同が非常に多い。其で特に茲に校合の一章を設けて、一覧して異同を知り、いずれが正かを明にしたのである。「六要鈔会本」は明治十八年、西村九郎右衛門出版の赤表紙の、三冊本である。丁数はこの会本の丁数である。「六要鈔」を土台にしたから、寛文本、明暦本、正保本、寛永本の四本は、これを年代順に逆さに並べたのである。 御草本は、坂東御真筆御草本。御真本は、西本願寺所蔵の御真本である。然し蓮師御所持のものでなかろう。高田本というは、今春出版の専修寺の出版本である。引用文というは、本典中に引用せられて居る経論釈外典の現行本を指すのである。 寛永本の下で○印のしるしあるは、寛永本の誤字で天保十一年の再銑の時、訂正せられたことをしめすのである。 「六要鈔」の下で●印のあるはその字に異同あることを示し、他の諸本の下で●印あるはその本に殊にその字の加われるを示すのである。丁数 六要鈔 寛文本 明暦本 正保本 寛永本 御草本 御真本 高田本 引用本文 25~89頁は省略 (1-090). 重見/一行∥著 18 古典語にみる反実仮想の表現について 245-249. 一。吉水の解散将に起らんとして、悲風粛々たる時、親鸞聖人の発義に依って信行両座を分って吉水門下の人々の信仰を試みられたことのあるは、人のみな知る所である。信行両座というは、他語を以ていえば、信仰主義と律法主義のことである。律法を宗教の精髄とするか、信仰の宗教の骨髄とするか、この一事は正しく宗教を活殺するものであって、この両主義者はいつの世にも存在するものである。枯渇せる宗教は常に律法を重んじ生ける新興の宗教は常に信仰を主とするものである。聖道門は概ね律法主義にして浄土門は信仰主義である。法然聖人を舞台の主人公とせる聖浄二門の対抗は正しくこの律法主義と信仰主義の対抗であった。而していつの時代にも見る如く信仰主義は着々としてその勝利の実を上げて、念仏の信仰は天下に瀰漫したのである。しかしなお細かにいえばこの勝利の聞を挙げた念仏者の中に於ても、猶律法主義者と信仰主義者との別であった。而してこの信行両座の別ちというはこの両主義者が試みられるのである。而もその結果は悲しいかなしける信仰主義者は五六輩だにも足らずして、三百余人の門侶は大抵、昔の律法を捨てやらずして、真に信仰に入らなんだ人であった。浄土の五流と称するもの、挙げ来って、その内容をみれば、またみな、美しく師匠法然聖人の意を得たるものではなかったのであった。 二。浄土の五流というは、近く「浄土源流章」にも出でて鎮西流、西山流、九品寺流、長楽寺流、成覚房流である。今その主義とするところを簡単に見て行こう。 (一)鎮西 聖光上人の一流は、阿弥陀仏の本願はただ称名念仏にあって、他の諸行は全く廃せらるる行業であるという諸行非本願の義を主張する。然しながら、阿弥陀仏は普ねく万差の機類を利益せらるる大悲の覚者で在すから、諸行の行者でももし回向して往生を求めるときは、必ず往生ができると云う。尤も諸行でも念仏でも、ともに三心(至誠心、深心、回向発願心)を発すことを肝要とし、もしこれがかけたときは孰も往生は出来ぬと教える。それゆえ、此一流は、諸行非本願説を執って、而も二類各生(念仏と諸行と二類各往生すること)を許すのである。 二類各生の説は猶可とするも、この派は、心存助給口称南無と称して、心に助け給えと深く念じて、一心に南無阿弥陀仏と称せよとすすめ、念仏の称え心を詮義し、真実至誠の心を以て、身命.

教行信証の研究 - 重見一行

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